理念
0歳から100歳までの
子どもたちと共に
いつもここにある
ふるさとを創る
「子ども」は、体は確かに小さいけれど、内側に秘めた爆発的な成長力や、その背に輝く希望、見えないものを見る力、不思議と人を引き付ける有能性、そんな力に満ち溢れています。そして時に一倍泣き、時に葛藤と向き合っていきます。この姿に、僕ら大人も時に感動し、時に戸惑い、心揺さぶられます。
わたにぃ(園長内保 亘)は、学生の頃からずっと、「子どもって何だろう?」というテーマと向き合ってきました。そして子どもと日々暮らしながら、自分の中に永らくくすぶっていたもの ―「子ども心」―が、少しずつまた日の目を見るようになってきたのを感じます。この「子ども心」にもう一度スポットライトを当てて、自分や世界を問い直す、そんなことができたらなと思ったのです。かつては僕も、いや誰しも子どもだったのです。
僕はこれまで「多様な人達と繋がりあい、ワクワクが生み出されていく場所があったらな」と本気で思ってきました。それは言わば「村」のようなもの。その真ん中に何があったらワクワクするかを考えた時に、これまでの自分の「子どもへの問い」が頭から離れませんでした。そして、「子どもから始まる何か」というテーマで、まずは「ようちえん」を始めようとなりました。「保育がしたい」という想い、というよりは、「子ども(心)」をテーマにまずは出逢おう!寄り合おう!そして、目の前で遊ぶ子どもたちの姿を眺めながら、ワクワクを共に暮らしていこう!こんな想いが、ちいろばの軸なのです。ちいろばに来れば、皆自然体になる、子どもになる。そして、「0歳から100歳の子ども」という言葉に象徴されるように、立場や肩書ではなく、「人として」ここで暮らしを作っていく場を、子どもが何よりも輝く「ようちえんから始めよう」ということなのです。
子どもも大人も、ワクワクや楽しい日々で彩られる時間をここで過ごせば、私たちなりの暮らしは文化となり、関わった分愛着が生まれていきます。自ずとここは、皆のふるさとになっていくことでしょう。誰かがカリスマ的にふるさとを開拓していくのではありません。関わる一人ひとりがこの場での主人公であり、一人ひとりの物語が幾重にも重なって綴られていく場、それが「ちいろば」なのです。
園長 内保 亘 (わたにぃ)
ちいろばの保育スタイル
以前「森のようちえん」と名乗っていたこともあって、その日常は、僕らを取り巻く環境の中でも最も大きな存在としてたたずむ森(自然資源)、がベースとなった「暮らし」を大事にしております。ですので、毎日自然の中で子どもたちが暮らす風景が、ちいろばでは描かれていきます。
「森のようちえんをやります!」というのではなく、ちいろばの保育スタイルは、「森に囲まれた、今、この場所で、仲間と関わり生活していく」というものです。自然に囲まれた地域の暮らし方がある。その暮らし方は自然と蜜に関わっていて、 まさに生きる力を感じさせてくれる宝物のようなものです。私たちは、ここで生活していく中で、地域と関わり、自然と関わり、その場にいる一人ひとりと関わり合いながら、自分なりの価値観や考えを持っていく、そうしたことに重きを置いています。
生活の中にこそ保育が息づいていて、私たちの保育のあり方は、そうした生活に根ざしたものの中からヒントを得て、生まれてくるということを理想としています。
森に囲まれた生活が息づく地域ですから、保育活動はやはり何かしら自然感を帯びたものが自然と多くなってきます。自然の多様性は、私たちに飽きを感じさせることなく、少しずつ形を変えながら、子どもたちの、また我々大人の好奇心や興味関心、そして心身を絶えず刺激してくれます。その刺激こそ、子どもにとっては自然な発達が促されるために大切で必要な栄養素のようなもの、大人にとっては、私らしくあるための処方箋のようなものとして、優しく、また時に 厳しく私達に語りかけてくるものなのです。
それを心から感じ、信じていく中で、ちいろばなりの保育の毎日が生まれてきます。
また、長野県では「信州やまほいく認定制度」というものがあり、「信州の保育は自然から」をうたっております。ちいろばもこの制度に加盟しており、長野県から「信州型自然保育・特化型園(週15 時間以上野外で活動している)」の認定をいただいております。
園長 内保 亘 (わたにぃ)
「ちいろばの杜」
という名の意味
かつて「ちいろば先生」という人がいました。本当の名を榎本保郎といいます。彼はキリスト教会の牧者でした。
この「ちいろば」という名は、彼が聖書のとある場面に出てくる「小さなロバの子」の存在に共感し、そのロバのような生き方をしようということから生まれます。彼は、「小さなろばの子」を「ちいろば」と短く縮め、子ども達にその「ちいろば」の話を伝えてきました。そうしていつしか、彼は「ちいろば先生」と呼ばれるようになったのです。
「ちいろば」とは、イエス・キリストがエルサレムに入場する際に、乗っていたロバの子のことです。ロバの子は初め、「向こうの村」に繋がれていたのですが、「主がご入用なのです」といって召し出されたのです。そのロバは、サラブレッドなどとはおおよそ桁違いに愚鈍でみすぼらしく、まだ弱々しい。さらに、まだ一度も人を乗せたことはないというのです。そんな名も無きロバでも、ひとたび「主の用」に召し出され、イエス・キリストをその背に乗せる大役を引き受け、たくましく歩んだのです。榎本さんは、その時の「ちいろば」の喜びと感動はどれほどであったかを想像し、自らもその「ちいろば」のように「喜んで駆け回る阿呆になりたい!」と言って、自分のその後の生き方を、この「ちいろば」に倣おうとしたのです。
このキリスト教の世界に登場した「ちいろば」ですが、これはキリスト教の世界だけでなく、万人に共通して理解できるものだとわたにぃは信じます。少なくとも僕は、この「ちいろば」の理念に感激、共感していて、ちいろば事業も、 バカにされようとも「地域、人、特に子ども達のために喜んで駆け回る」ものでありたいし、また、「小さく弱々しくとも、確かな希望を背負った」ものであってほしいという 願いがあります。さらに、子ども達の姿もそこに重ねています。つまり、「まだ体は小さくとも、大いなる希望を背負っている」子ども達ということです。まさに「ちいろば」の如く、希望に生かされ、喜びと感激の人生の歩みを進めてほしいと、僕は願っています。
園長 内保 亘 (わたにぃ)
